沖永良部島で居酒屋「食材屋えん」(和泊町手々知名)を営む比嘉則夫さんが5月上旬、両親から受け継いでいた60以上年前のものを含む写真35枚をAIでカラーデータ化した。タブレットにはかつての和泊町の街並みのほか、実家の時計店の前で誇らしげに腕組みする父親や喜界島を旅行中の母親の姿が鮮明に映し出された。比嘉さんは「兄弟たちにも写真を共有して喜んだ」と話す。
データ化とAIで彩色したのは同町在住のネルソン水嶋さん。水嶋さんは2カ月前に同町教育委員会で、民俗写真家の芳賀日出男さんが1955(昭和30)年から1964(昭和39)年にかけて同島で撮った写真の一部の彩色に携わった経験があった。その後、「個人の写真にも島の昔の様子が写っているのでは」と考えていたところ、その話を聞いた比嘉さんが4冊のアルバムを預けた。
比嘉さんのアルバムは1977(昭和52)年の沖永良部台風で一度ぬれたものの、両親が大切に保存しており、比嘉さんが引き継いだ。アルバムに収められた写真には、沖永良部相撲連盟の理事長も務めた父親のまわし姿や、本土から大相撲の力士たちを招いて高千穂神社で興行を行った様子や、家業だった時計店の初代・2代目・3代目の店舗が写っており、AIを使い「当時に近い見た目」で色鮮やかによみがえらせた。比嘉さんは「2年前に母親が他界し落ち込んでいたが、三回忌を経てようやくアルバムを見られる気持ちになった。このタイミングでカラーになって良かった」と話す。
写真には、農業組合職員だった母親が喜界島へ出張した際のものがあり、同島で最標高の「百之台」に立つ母親の姿が写っていた。比嘉さんは「喜界島には5度ほど行ったが、喜界島で母親が撮っていたとは気づかなかった。同じ場所に生きているうちに行きたい」と話す。
カラー化された写真を福岡に住む兄たちに送ったところ、「感動した」と返事があり、喜びを分かち合ったという。比嘉さんは「おやじとおふくろが誰かの世話になって、誰かの世話をして、そこに絆ができて、俺が生きている。これからも人を大事にしていきたい」と思いを語る。
水嶋さんは「喜んでもらえてうれしい。今はもう見られない貴重な町並みも多く見られた。まだまだ貴重な写真が眠っていると思うので、島内外を問わず記憶の記録を続けていきたい」と意気込む。今後、許諾が取れた写真を共有するサイトの開設も視野に入れているという。