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徳之島・伊仙町で復帰70周年記念祭 泉芳朗の故郷で復帰の立役者をしのぶ

阿権小学校の子どもによる当時の様子を再現した島口劇

阿権小学校の子どもによる当時の様子を再現した島口劇

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 戦後8年間、米軍統治下にあった奄美群島が、民主的な復帰運動で米国へ働きかけ、日本復帰を果たした1953(昭和28)年12月25日から70年を迎えた12月24日、徳之島・伊仙町で「奄美群島日本復帰70周年記念祭」が行われた。

泉芳朗、盛郷重廣写真の前で 武居月子さん(中央左)と泉宏比古さん(中央右)

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 伊仙町上面縄集落の伝統芸能「ションマイカ」に始まり、小学生による島口劇、そして復帰協議会議長として非暴力による無血の日本復帰を率いた泉芳朗とマーフィー駐日大使の直接会談を実現させた同町出身の盛郷重廣家族による講話が続いた。後に「奄美のガンジー」と呼ばれた泉芳朗は伊仙町面縄出身。

 教師として徳之島と東京に勤務しつつ詩人としても活躍し、戦後日本から南西諸島が分離された最中に、日本復帰協議会議長に推された。同時に名瀬市長も務め、当時の奄美群島民99.8%(14歳以上)による署名活動やハンガーストライキを行いながら群島民を束ね、国会での説明、吉田茂首相、マーフィー米国大使との直接会談などで、復帰運動をけん引した。

 盛郷重廣は東京で実業家として幅広い人脈を持ち、東京に上京して日本復帰の決定打を探るも突破口を見出せずにいた泉ら代表団と、マーフィー駐日大使との会談を手はずし、45分にわたる会談の様子を克明に記録し後世に残した。

 記念祭では、泉芳朗のおいである泉宏比古さんによる芳朗像、盛郷重廣次女の武居月子さんによる当時の様子が語られ、会場を埋めた約300人の観衆は初めて聞く歴史の裏側に深く聞き入った。
他に阿権小学校児童による島口劇、地元演出家による「英雄たちの生まれた町」が披露され、温かい拍手が鳴り響いた。伊仙町はこれらの背景をまとめた15分間の動画を制作し、この日に初上映し、今後教育現場での活用を目指し教育委員会へ贈呈した。

 約50年ぶりに父の故郷徳之島を訪れた武居月子さんは「父の故郷で、こんなにも盛大な70周年記念式典の場で、父の人柄や当時の働きをたたえていただき、感謝しかない。人のためにいつも尽力していた父の人生も報われたと思う」と笑顔で語った。

 式典の最後はスクリーン前面に映し出された伊仙町出身の2人の偉人をたたえ、来場者全員で献花を行い、70年前の島が置かれた厳しい現実とそれに果敢に立ち向かった先人たちに思いをはせた。

 会場入り口では、夏季休業課題で小中学生が取り組んだ「足元を見つめシマを知るプロジェクト」の成果242点を展示。身近な高齢者に昔の話を聞いた子どもたちの絵日記や聞き取りの様子に、多くの来場者が足を止め見入っていた。

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