伊仙村から伊仙町に移行した60周年の節目を迎え、伊仙町総合体育館(伊仙町伊仙)で4月15日、「伊仙町制施行60周年記念式典」が盛大に行われ、「世界に誇る環境文化と住みたい町日本一へ」をスローガンに、島内外の来賓、関係者などおよそ300人が参加した。
大久保明伊仙町長の式辞に続き叙勲や各分野の功労者表彰を行い、塩田康一鹿児島県知事をはじめとする来賓が祝辞を述べた。式典の最後に、伊仙町へ進出した「モスク・クリエーション」(東京都港区)の近藤恵一社長と大久保町長との対談が行われた。前日の14日、なくさみ館で行われた「伊仙町伝統文化と芸能の祭典」や各種展示、動画上映も式典を盛り上げた。
会場では、伊仙町の歴史や自然、長寿と子宝、60年間のあゆみ、数字で見る伊仙町、そして伊仙町内の児童・生徒による「未来の伊仙町に期待すること」など、過去と未来を見据えた内容の町制施行60周年記念誌も配布。16歳~25歳対象に行われた記念論文コンクールで最優秀賞を受賞した松岡天真さん(大島高校2年)が「私の思う伊仙町」を発表した。松岡さんは「地元伊仙町に戻り、こんなに大きな式典会場で論文を発表することができてとてもいい経験になった。小さい頃からかわいがってくれた人たちにも声をかけてもらい、徳之島に帰って来た実感が湧いた」と笑顔で話す。
現在、同会場では町の自然や歴史、闘牛文化、子どもたちの絵画を展示している。今年は奄美群島日本復帰70周年を迎えることから、復帰運動を主導した伊仙町出身の泉芳朗(ほうろう)により書かれた日記、手紙、小説原稿、徳之島高校校歌の手書き歌詞なども展示している。中でも米国大使との直接交渉を手引きし、日本復帰実現への機会をつくった同郷の盛郷重廣に宛てた手紙は初公開で、当時の大使からの言質を引き出した後に大使更迭を知り、日本復帰への道筋が危うくなったことに対する泉芳朗の心理的焦りが見られる貴重な資料となっている。一般公開は今月22日まで。