国の文化審議会が12月19日、「沖永良部島古墓群」を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。対象となった同島にある4基の墓は、琉球石灰岩の岩盤を掘り込んで造られた墓室があり、その前面に石積みの壁で囲まれた前庭や、墓本体の上部に屋根構造を持つのが特徴。
(左から)知名町教育委員会学芸員の仲田さんと和泊町教育委員会学芸員の北野さん
和泊町からは「世之主の墓」の1基が対象で、世之主は14~15世紀前半頃に同島を治めていた「永良部世之主」の墓と伝わる。知名町からは「新城花窪ニャートゥ墓」「屋者ガジマル墓」「アーニマガヤトゥール墓」の3基で、計4基の古墓に島全体で一つの文化財としての価値が認められた。複数の市町村にまたがるタイプは「広域(シリアル)型」と呼ばれる。これらと同じ規模の古墓は島内に計21基あり、奄美群島で同島以外では喜界島の1基にとどまっている。
和泊町教育委員会は、古墓の基礎情報を得るため、2013(平成25)年度から2018(平成30)年度にかけて第1次調査で測量や発掘を実施。知名町教育委員会は2012(平成24)年度に調査を始めた。2019年度からは国史跡指定を目指して両町でそれぞれ調査検討委員会を設け、専門家の助言を得ながら第2次調査を進め、両町合本で総括報告書を刊行した。調査の過程で、石積みを破壊する恐れのある樹木の根を除去しながら遺構を保護する作業も伴ったという。
今回、和泊町からの対象は「世之主の墓」1件だが、当初は「チュラドゥール」と「3号墓」と呼ばれる墓も候補に挙がっていた。これらが見送られた理由について、同町担当者で学芸員の北野堪重郎さんは「土地所有者の特定が困難だった」と話す。これらも今回対象となった古墓と同等の価値を持つ遺跡として位置づけており、今後、条件が整い次第、追加指定を目指す方針だという。
答申を受け、前登志朗和泊町長は「先祖を大切にする島の人々にとって、古墓は畏敬の対象であり、世之主の墓などの掘込墓も地域に大切に守り引き継がれてきた。大切な島の宝を後世に引き継ぎ、これまで以上に保存・活用のため各種施策に取り組みたい」とコメント。
今井力夫知名町長は「古墓は沖縄と鹿児島の交流の歴史を考える上でも重要な島の宝。国史跡に指定されたことは大変意義深い。長年にわたり、調査や保全に協力いただいた地元字の皆さま、所有者の皆さま、関係機関の尽力に感謝したい」とコメントする。
北野さんは「子どもの頃から知っている場所。国指定史跡になったことはうれしいが、今後の保存管理など宿題がたくさん。喜んでばかりもいられない」と率直な思いを吐露。今後は保存活用計画の策定を進めるほか、来年2月11日には古墓群の認知を広める目的でシンポジウムを開催する。島民も壇上に上がり沖永良部島古墓群の活用の方向性を探る予定だ。