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長寿の島・徳之島で100歳の廣島員代さんに取材殺到 敬老の日で

新聞社の取材に著書「結の花」と共にカメラに収まる廣島員代さん

新聞社の取材に著書「結の花」と共にカメラに収まる廣島員代さん

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 長寿の島で知られる徳之島で、100歳を迎えてなお、過去の経験を鮮明に覚えている「スーパーおばあちゃん」こと廣島員代さんが、9月16日の敬老の日に合わせて多くのメディアの取材を受けた。

全国放送特別番組の取材を受ける廣島さん

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 1924(大正13)年伊仙町木之香集落生まれの廣島さんは、第二次世界大戦中満州へ渡り、何不自由ない暮らしを送っていたが、終戦の日を機に情勢が激変。他の日本人と共に命からがら逃げ帰った故郷の島は米軍政権下となっていた。その体験と人生観、長年にわたり編み続けた短歌や俳句を聞くため、全国のメディアから取材依頼が殺到している。

 きっかけは、伊仙町社会教育課主催の「令和6年度いせん寺子屋」。プログラム第1回を飾るスピーカーとして招かれ、小学生から大人まで幅広い世代の地元住民を前にマイクなしで1時間半、語り切った。女学校を卒業してから、姉婿のあっせんでタイピストとしての仕事をするため満州国へ渡り、仕事もプライベートも充実した日々を送っていたが、終戦の日を境に息を殺して潜む日常に暗転。それでも「元々本に興味がなかったけど、この引きこもり生活のおかげでたくさん本を読む習慣がついた」と明るく笑う。

 それぞれの国の兵士の違いや特徴、何とか乗り込んだ引き揚げ船から見えた博多の街が祖国としてまばゆく見えたこと、そこで受けた日本政府からの施しに、戦争に負けても日本はどれだけ立派だったかと感慨深げに語る。そんな思いをしてたどり着いた徳之島は米軍政権下にあり、国籍もないまま貧しい生活を強いられた。小さな端切れから裁縫で物を作り、売ったりしたが、それではらちがあかないと覚悟の上で鹿児島へ渡り、当時無国籍だったため警察の世話になったこともあるという。

 その後、美容師を目指して大阪へ向かい、大阪で店を構えて40年以上美容師として働き、74歳の時に故郷の徳之島へ。現在の廣島さんは親族に見守られながら自律的な生活を送っており、短歌、俳句、作詞、小説などの創作意欲が衰えることはない。満州の会社で出会い、敗戦を経て祖国を目指すために乗り込む港で、偶然再会した熊本の女性が嗜(たしな)んでいた短歌に心を奪われ、それ以来、詠み続けている短歌。俳句集は「結の花」という本にまとめられ、現在も全国で買うことができる。

 最近は、こうしたライフヒストリーを持つ廣島さんの存在を聞きつけ、9月16日の敬老の日や元気なご長寿特別番組制作に合わせ、全国のテレビ、新聞媒体などからの取材を受ける日々が続いている。

 「100歳になって、こんなに皆さんに話を聞いてもらえるなんて、夢のよう。次の世界へ行くときまで、いいことを残し続けていきたい」と廣島さんは晴れやかに語る。

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