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ゴミ拾いがつくるコミュニティー、奄美ビーチクリーン最前線

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突然の軽石でみるみるうちに青く美しかった海はコンクリートを流し込んだような灰色に染まっていった。いつもは白さが自慢のビーチもまるで無造作にスプレーを吹き付けたように軽石が散乱し、沖に目をやれば漂着予備軍の軽石たちが群れをなして漂っている。

軽石に覆われた与論島の海

小笠原諸島にある海底火山「福徳岡ノ場」の大噴火で噴出した軽石は10月頃、黒潮に乗って沖縄と奄美に漂着。分析によると、今後は大隅諸島、四国、関東まで届くという。

漁船はもちろん、発電用の重油を運ぶタンカーまでも足止めをくらい、とりわけ離島住民にとっては先行き不透明な悩みの種となっている。一方、赤土の流出防止剤や園芸用として再利用も検討されており、厄介者がたちまち恵みに覆るという可能性も残されている。

軽石を回収する地域の人々(写真提供=阿多尚志さん)

しかし、海からの厄介者という点では、私たちは以前から対峙(たいじ)してきたものがある。それは漂着ゴミだ。ペットボトルから、発泡スチロール、漁具や漁網、歯ブラシ、果てはドラム缶まで幅広い。ゴミは日本から流れ出たものだけでなく、フィリピン、ベトナム、台湾、中国、韓国などから黒潮によって巻き取られ、南西諸島に向かって常に吐き出されている。

台風が来ると大量の漂着ゴミが浜に転がっている

今回、奄美群島南三島、与論島・沖永良部島・徳之島の各島それぞれでビーチクリーンを行う人たちに取材した。彼らはどんなきっかけで、どんな思いを持って、浜でゴミを拾い続けているのだろうか。彼らをつぶさに見ていると、現代ならではな共通点が浮かんできた。

ゴミがない本来の姿の美しい海
 

沖永良部島の海でゴミを拾う人々

■夏休みの作文が島を動かした・うじじきれい団

うじじきれい団は、竿(さお)さん一家によるビーチクリーン団体。中心人物は長女りりさん、次女はなさん、三女めいさん、長男きいちのすけ君。きっかけは4年前、りりさんが夏休みの作文課題のテーマに悩んでいたところ、普段からうじじ浜で遊んだ帰りにゴミを拾っていたことから、父・智之さんの勧めもあり漂着ゴミの調査とゴミ拾いを始めた。

活動は基本的に毎日。智之さんは「こんなに続くとは正直思いもしなかっただけに、『海洋ゴミから生き物を守りたい』という子どもたちの思いの強さに驚かされる」と話す。

早朝からゴミを拾う「うじじきれい団」

北風が強くなる冬場は、ゴミが多くなる内喜名浜(ないきなはま)が主な活動場所となる。活動は全国ネットのテレビ番組でも取り上げられ、子どもたちは学会や企業の研修会などに呼ばれる機会も増えた。島内でのビーチクリーンの気運を高めたとともに、その活動に触発されて島外に数々の地域名などを冠した「○○きれい団」が生まれ、その影響力は全国規模となっている。

ビーチクリーン後にはポージング

「一秒でも早く、彼らがゴミ拾いをしないでよい社会になることを祈っている。それまでは親として、いつでもやめられて、いつでも始められる環境づくりに細心の注意を払いながら、海洋ゴミをなくす方法を子どもたちと共に考え続けたい」

■娘さんが発案・うみのたからものプロジェクト

かまゆきみさんは、沖永良部島に移住した4年前からビーチクリーンを始めた。ゴミ以外にも、シーグラスや貝殻も拾う点が特徴。これは「うみのたからものプロジェクト」という、かまさんが主宰する「e.lab(イーラボ)」が定期開催するワークショップだ。


マイクロプラスチックを拾い集める参加者たち

マイクロプラスチックなどのゴミも含めて拾ったものは、万華鏡やアクセサリーなどにアップサイクル(不要品に新しい価値を与えること)する。参加者からは「初めてだったけどきれいに作れた」「海で拾ったものが万華鏡になるなんて驚いた」などの声が上がるという。

かまさんが島に移住したきっかけは、長女の葉音(はお)さんがきっかけ。本やテレビ番組を通して希少生物に興味を持った葉音さん。自然や生物に触れ合える環境をと、葉音さんが小学5年の頃に島に移住。以前から家族旅行でオーストラリアや奄美を訪ねる中で南の島に住むことを考えていたため、決断は早かった。うみのたからものプロジェクトは葉音さんが発案したものだ。

万華鏡を覗くと…

「子どもたちと一緒に海に遊びに行くこと、一緒にゴミを拾うこと、それ自体が私にとっては『うみのたからものプロジェクト』。海に漂うゴミを全てなかったことにはできないが、海を大切にしたいと思う人が増えれば、自ずと海は守られていくと信じている」

■50年越しの海への恩返し・古村みやさん

古村みやさんの朝は早い。毎日、夜明け前には近所の浜に下りて黙々とゴミを拾う。今年で74歳を迎え、体力に自信ありという訳でもないが、視界に入るゴミを取り尽くすまで続ける。次男の英次郎さんは「ゼェゼェ言いながら拾ってるから心配で見てるんよ」と手伝う。

浜を往復してゴミを拾うみやさん(左)

きっかけは6年前、辛い時期があり落ち込むみやさんを見かねた友人が海へと連れ出した。島では仕事に家事に生きることに精いっぱい、離島でありながら浜に出る機会は少なかった。しかし久しぶりに訪れた浜が移住した50年前と全く違うゴミだらけの状態に衝撃を受けた。

ふだんのみやさん

それから毎日、うっそうとした茂みをかき分け浜に下り、ゴミ拾い。台風でも行こうとしたら、ビル3階分の波に慌てて引き返したこともあった。誰にも知らせず続けていたみやさんだったが、集落で話は広まり、手伝う人が増え、浜は整備され海ゴミの回収箱も設置された。

「50年前はプラスチックなんてものはなく、海はきれいだった。あの頃の素晴らしさを取り戻せる訳ではないが、少しでも近づけたい。そして孫たちが大きくなったとき、『ばぁばが毎日こういうことをしてたんだ』と知ってくれたらうれしい」

 

与論島の海でゴミを拾う人々

■島人も旅人も歓迎ビーチクリーン・海謝美(うんじゃみ)

毎朝6時半になると与論島のどこかの浜で、ビーチクリーングループ「海謝美(うんじゃみ)」のメンバーが集まっている。60以上ある全ての浜を毎日島を反時計回りに回り、きれいになれば次の浜、そしてまた次の浜と進んでいく。活動場所は毎日SNSで発信し、島民だけでなく観光客も参加することができ、十数人が参加する日もあるという。

時には大型ゴミの「発掘作業」も

「海謝美」は2017(平成29)年4月に結成。立ち上げメンバーの一人である堀行さんは「無理なく自由にするのがボランティア。来れる人が楽しんで参加してくれればいい。『海謝美』の活動を通して、島も自分も元気になれる」と話す。門馬(もんま)さんは与論島旅行のリピーターで、来島の度に参加。「みんな気持ちがいい人ばかりで、気付いたら続けている」とほほ笑む。

毎日の活動の他に子どもたちへの観光教育や海外との交流も実施。「8月にはオンラインでASEAN諸国向けに活動を発表した。何がインセンティブ(参加報酬)になっているのかと聞かれたが、うまく説明できなかった。文化の違いを感じた」と代表の阿多さん。

中心メンバーで記念撮影

「当初は、なぜこんなにゴミを捨てるんだと憤ったときもあった。でもメンバーが『ゴミは宝物。見る人の心によって見え方が変わる』と言っていた。ゴミを拾ってあげているのではなくて、何かの形で自分に返ってくる、そう思えると楽しい。これからも観光客や若い世代と交流し、島の自然や文化を守り次世代につなげていきたい」と阿多さんは意気込む。

■人が来るほどきれいになる浜を・池田龍介さん

「1人の100歩より、100人の1歩」と語るのは与論島出身の池田龍介さん。「島のためになにかしたい」と2014(平成26)年に与論島にUターン、翌日からビーチクリーン活動『美ら島(ちゅらしま)プロジェクト365』を始めた。

ビーチクリーン活動の様子

4日目に同級生2人の参加を皮切りに、年代や立場が違う人たちにも波及し、1年で延べ3000人以上が参加する規模となり、活動は新聞にも取り上げられて1日に50人近く集まったこともあった。その後、3年間にわたってビーチクリーン活動は休むことなく続けられた。

しかし、ある時、違和感を抱く。「活動1年目から『ゴミ拾いの池田』と呼ばれ始めた。誰かがやっているのではなく、主体性を持つ必要がある。いつでも誰でも気付いたときにゴミを拾える環境や仕組みがあるといいなと考えるようになった」と池田さんは振り返る。

島に点在する浜に設置された拾い箱(右端が池田さん)

そこで、海岸に来たついでに海ゴミを拾って入れることができる『拾い箱』を発案し、与論町役場と協力して2017年から主要な浜に設置した。「与論島は観光の島。拾い箱を普及させ、島民・行政・観光客が一体となり人が来れば来るほどきれいになる浜を目指したい。活動が、海ゴミ問題や使い捨て社会について課題意識を持つきっかけになればうれしい」と池田さんはほほ笑む。

 

徳之島の海でゴミを拾う人々

■ゴミも価値を与えれば資源に・漂着物学会西村さん夫婦

徳之島伊仙町の地域おこし協力隊として活動する西村千尋さん・奈美子さん夫婦は「漂着物学会」のメンバー。千尋さんは長崎県立大学の元教授、奈美子さんは水族館の職員という、それぞれの立場で学会と関わりを持った。

奈美子さんの趣味は、浜辺を散策しながら生物の骨や珍しい貝などを「宝物」として収集すること。特に興味を持つものが漂着種子で、南方系の植物の種を見つけるとうれしなるという。宝物を子どもたちに自慢すると、興味津々。逆に、珍しいものを拾う子どもも現れた。

最近では地域の学校と連携し、海について学ぶ学習プログラムを行っているという。

漂着物を分類して地域の子どもたちに見せる様子

「浜に行く人が増えれば、海は必ずきれいになると思う。ゴミのある浜を見て、その時は拾わなくても、それが原体験となってどこかのきっかけで口に出し共感が広がり、行動が変わるかもしれない。私たちがやっているのは『種まき』」と奈美子さんは期待を込める。

子どもたちは興味津々

「ゴミとして生まれてくる物はない、どう捉えるかは人次第。価値を与えれば資源になる、私たちはこれらを『教育資源』としての価値を与えている」と千尋さんは話す。

■ビーチクリーンから広がる予想外の連鎖・Impression

『Impression』は、大倉あゆみさんと大保由佳里さんが今年5月に結成したビーチクリーン団体。日課として海ゴミを拾いつつ、定期的にビーチクリーンイベントを開催。初回は、SNSでの前日の告知にかかわらず20人以上の島民が参加。

ビーチクリーン活動参加者には2人と同年代の女性も多い

2人の出会いは、偶然大倉さんの誕生日に世界各地で開催された『WORLD CLEANUP DAY』への参加がきっかけ。「徳之島でもやりたい」という気持ちが芽生え、由佳里さんと意気投合し出会って2時間後には団体結成を決めた。

開催回数は少ないながらも、活動を通して参加者同士のつながりが広がることを実感するという。当日仕事で来られない飲食店の店主から、イベント参加者への割引の申し出もあった。「予想外の連鎖が生まれて、小さいながらも確かな変化を感じる」と話す大倉さん。

小さな男の子もやる気満々

続けて、「小さなことだが、目の前のゴミを拾うと少しだけ海がきれいになり、共感が生まれ良い連鎖が生まれていく。島で暮らす子どもたちにも自分が行動を起こすことで、世の中が少しだけでも確かに変わることを経験し、自分の可能性に気づいてほしい」と意気込む。

 

ゴミ拾いから広がるコミュニティー

今回は、奄美群島南三島(沖永良部島・与論島・徳之島)で活動する記者がそれぞれ取材したが、不思議と共通する点があった。それは取材先の必ず誰かが、ゴミを、宝物や資源といった前向きな言葉にたとえていた点。ゴミ拾いを続けた先にはきっと同じ景色が見えるのだろう。

ゴミ拾いという行為を媒介にしてコミュニティーを形成している点も興味深い。与論島の海謝美さんが特に際立っており、地元出身者も、移住者も、旅行者も全員を巻き込む一大ムーブメントになっている。その大きな存在感を裏付けるように、今年11月には鹿児島県から2021年度環境保全活動優秀団体等表彰された。

かつて水資源が乏しかった地域においては、住人たちが日に何度も往来する湧水地がコミュニティーを形成する人と人との媒介になっていた。現代では当然のように各家庭に上下水道が配備され、かつて活気に湧いた湧水地も場所によっては完全に草木に覆われ見る影もない。

現代の離島においては、アプローチこそ真逆だが、ゴミ拾いという行為こそが、かつての水くみに変わり、そして今コミュニティーを形づくる新たな媒介になっているのかもしれない。

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文/構成/取材(沖永良部島):ネルソン水嶋(沖永良部支局)
取材(沖永良部島):古村英次郎、大御悠瑠花
文/取材(与論島):沖しゅり
文/取材(徳之島):福本慶太

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