徳之島町の山(さん)小学校(徳之島町山)で2月26日、地元出身の特攻隊員を通して戦争と平和を学ぶ平和学習が行われ、1年~6年の全校児童13人と教員、保護者が受講した。
講師は天城町岡前小学校に勤務する竹田博代さん。竹田さんは昨年9月、天城町で上演された伊仙町出身の特攻隊員樺島資彦さんをモデルにした舞台「流れる雲よ」を観劇し、その後のイベントでもう一人の徳之島出身の特攻隊員碇山達也さんを知り、独自に調べを進めてきた。この5カ月間で分かった碇山さんのことを出身地である山(さん)の子どもたちに伝えたいという思いから今回の平和学習が実現した。
学習では第2次世界大戦当時の世界の様子や特攻作戦が行われた経緯、戦争によってどれほどの命が失われたのかなど、80年以上前の歴史を丁寧に説明し、子どもたちも真剣なまなざしで聞き入っていた。
竹田さんは、昨年9月以降「何かに突き動かされるようだった」と語るほど、碇山さんのことが気になり、出身地の山集落、鹿屋航空基地資料館、指宿海軍航空基地跡、知覧特攻平和会館などに出向き、碇山さんに関する情報の収集に奔走した。「途中、行き詰まることもあったが、偶然の出会いや新たな発見があり、幾重もの人のつながりができた」と振り返る。達也さんのいとこに当たる碇山正則さん(故人)の孫、太良実さんとの縁が貴重な写真や資料、人のつながりをもたらしてくれたという。
碇山達也さんは1922(大正11)年10月1日、徳之島町山で生まれ、幼い頃に家族と共に台湾に移住。日本に戻った後、1941(昭和16)年4月に早稲田大学入学。2年半後、戦況悪化に伴い大学を中退し、予備少尉として茨城県北浦航空隊に入隊。1945(昭和20)年5月4日、指宿海軍航空基地から沖縄に向けて出撃し、沖永良部島周辺海域で特攻死した。享年22歳。
平和学習では実際に碇山さんが搭乗した94式水上偵察機のミニチュアを用い、500キロの爆弾を搭載した状況と機動性の低い布張りの古い偵察機しか使えなかった終戦間際の窮状を説明。
出撃前夜、四国詫間(たくま)基地で久しぶりに再会した同期と旧交を温めた後、「心身共にベストコンディションで」という理由で酒杯を断り、ごちそうにもつつましく箸を付けただけで、落ち着いた様子で出撃に臨む碇山さんの姿が記されている本の一文も紹介した。「苦労して入った早稲田大学を2年半で退学した時、碇山さんはどういう思いだったのか、もっと勉強したかったのでは」「布張りの使い古された偵察機に搭乗した碇山さんはどういう思いで飛び立ったのか」――竹田さんの問いかけに子どもたちは、地元の先輩でもある碇山さんに思いをはせた。
最後に「山のナゴリ山神社の敷地内にある戦没者慰霊碑には碇山達也さんの名前が刻まれている。神社にお参りする際は、この慰霊碑にも手を合わせてほしい」と呼びかけ、平和学習を終えた。
2年の岩本壮史君は「戦争のこと、碇山さんのこと、たくさんのことを知ることができて良かった。ありがとうございました」と感謝し、保護者として参加した林孝俊さんは「息子を連れて、一度鹿屋の地を訪れたい」と話していた。