与論町の那間自治公民館(与論町那間)で10月24日、戦時中に中国東北部(旧満州)へ渡った開拓団の一員だった山松森さんが家族や親戚から聞いた体験談を語った。那間集落の健康サロン活動の一環。「昔むぬがったい」は与論の方言で「昔話し」の意味。
第二次世界大戦末期、与論島では昭和19(1944)年から、旧満州国、金州省の盤山県に「輿論開拓団」として9集落145世帯、635人が移住している。
講話の始めに、与論の歴史を調べている原田誠一郎さんが「昨年、個人的な勉強会をしていて、山さんはその時のメンバー。山さんに満州の話を聞いたら『その時は2歳だったから何も覚えていない』と言うが、とても良い話が聞けた」ときっかけを話した。
山さんは、当時の時代背景や与論島での事情、満州での生活、1年足らずで敗戦し、ソ連(当時)の進攻や強制的に土地を接収していた現地の人々との衝突、自身も含め家族が経験した苦労について詳しく説明した。
仲良くしていた現地の人に助けられたことにも触れ、「今だから言えることだが、心と心の通じ合いがあれば人種や国も関係ない。情勢が悪くなる中、手を差し伸べて私どもの窮状を救ってくれた」とも語った。与論島へ帰還後、自身に残ったトラウマと、それを理解してくれた島の恩人のエピソードや、与論開拓団では現地に残留孤児を残さなかったことについても話した。
講話を終えて山さんは「私より年上の人たちは、まだ当時の記憶が残っている。そういった方々が健在なうちに、記憶を残すために話を集めたい」と話す。